第3章 律令国家の形成
④律令国家の変容
平安遷都
- 781 光仁皇子の渡来系氏族の血を引く (1. 桓武天皇) 即位
- 784 (2. 長岡京)へ遷都:仏教政治からの転換、天皇権力強化を目的に
- →桓武天皇の腹心 (3. 藤原種継)が暗殺される
- →皇太子 (4. 早良親王)が首謀者とされ、大伴氏・佐伯氏らとともに失脚
- →怨霊の祟り発生
- 794 (5. 平安京)へ再遷都、(山背→)山城国と改称、~1185? 平安時代
蝦夷との戦い
- 奈良時代に続き、東北地方の支配を拡大
- 関東地方から入植させた農民 (6. 柵戸)に現地の開発を行わせる
- ⇔代わりに帰属した蝦夷 (7. 俘囚)が関東以西へ
- しかし各地で蝦夷や俘囚の反乱がおこり、中央政府が派兵
- 780 (光仁朝)(8. 伊治呰麻呂(いじのあざまろ))が多賀城を襲う
- 789 (桓武朝)(9. 紀古佐美(きのこさみ))を征東大使に任じ胆沢地方へ進出するも (10. 阿弖流為(アテルイ))により大敗
- 802 (11. 征夷大将軍)に任じられた (12. 坂上田村麻呂)が(10. 阿弖流為)をおさえ、(13. 胆沢城)を築城、多賀城から(13. 胆沢城)へ鎮守府を移す
- 803 志波城築城、前進拠点とする
- 桓武朝の「14. 軍事と造作」(東北遠征+新都造営)は大きな負担となり (15. 徳政相論)の結果二大事業は打ち切られる
- 徳政相論:(16. 藤原緒嗣)議して云く「方今、天下の苦しむ所、14. 軍事と造作となり。此の両事を停め、百姓安ぜんぜん」と。(17. 菅野真道) 、異議を確執して肯て聴かず。
平安時代初期の政治改革
- 9世紀=律令体制再建を目指す
- <桓武朝> 定員外の国司・郡司の廃止
- 国司を監視する (18. 勘解由使)を新設 *(19. 令外官)の1つ
- :新任国司が前任国司へ(20. 解由状)を与える際に審査
- 要地以外の軍団・兵士の廃止、志願制の(21. 健児(こんでい))による軍事制度を新設
- <嵯峨朝> 天皇の秘書官長(22. 蔵人頭(くろうどのとう))を新設 *初代巨勢野足・(23. 藤原冬嗣)
- 都を管轄下に置く警察(24. 検非違使(けびいし))を新設
- :犯人検挙、訴訟、裁判を行う重要職に
- 810 平城太上天皇が(25. 式家 藤原仲成・薬子)と結び平城京への再遷都を画策
- 嵯峨天皇との対立は「25-2. 二所朝廷」と呼ばれるも、嵯峨天皇が(26. 北家)藤原冬嗣と結び勝利(26-2. 平城太上天皇の変/薬子の変)、この際に蔵人頭が新設される
- 社会の変化に合わせた法制の整備(27. 弘仁格式)
- :(28. 格=律令の補足修正)と (29. 式=施行細則)を編集(冬嗣ら)
- *清和朝で(30. 貞観)格式、醍醐朝で(31. 延喜)格式成立
- =(32. 三代格式)
- 同時期に「令」についての注釈書も編纂される
- :官撰『33. 令義解(りょうのぎげ)』(清原夏野)、私撰『33-2. 令集解(りょうのしゅうげ)』(惟宗直本)
地方と貴族社会の変容
- 実情と律令に定められた土地・税制度の乖離が問題に
- ①浮浪・逃亡 ②(34. 偽籍) ③班田収授の不履行 ④税の未納 ⑤兵士の質低下
- →現状に対応する諸政策が実施される
- ①公出挙の利息を5→3割へ、雑徭を60→30日に
- ③班田期間を6→12年へ(34-2. 一紀一班、桓武朝)
- ④直営地の経営:大宰府の収入源=(35. 公営田(くえいでん))、諸官庁=(36. 元慶官田(がんぎょうかんでん))
- *やがて天皇は (37. 勅旨田)、皇族は賜田、各官庁は請司田、官人は墾田をそれぞれ所有し財源とするようになる。天皇の龍臣は「37-2. 院宮王臣家」と呼ばれ勢力を築く
- ⑤(21. 健児(こんでい))の新設
唐風文化と平安仏教(1. 弘仁・貞観文化:9世紀)
- 中国の強い影響を受けた貴族文化、(2. 文章経国思想「文章は経国の大業なり」)が特徴
- <漢詩文>(*最初の漢詩集(私撰)は天平文化の『懐風藻』)
- (3. 勅撰漢詩集)『4. 凌雲集』『5. 文華秀麗集』嵯峨朝/『6. 経国集』淳和朝
- 空海(漢詩集)『7. 性霊集(遍照発揮性霊集)』/(漢詩論)『8. 文鏡秘府論』
- <文人>*文人貴族が政治に参加
- (9. 三筆)(唐様)(10. 嵯峨)天皇・(11. 橘逸勢)・空海(12. 風信帖)
- (13. 菅原道真『菅家文草』)や小野篁らが藤原氏に対抗する勢力として政界でも活躍
- <14. 大学別曹>*大学に通う子弟の寄宿舎として各氏族が設置
- (15. 弘文院:和気氏/(16. 勧学院):藤原氏/(17. 奨学院):在原氏や皇族/(17-2. 学館院):橘氏
- 大学では「紀伝道(文章道)=中国の歴史や漢文学」が特に重視される
- <18. 綜芸種智院>(828)
- 密教(平安新仏教)↔︎顕教
- *南都仏教へ対抗する観点からも強い支持を受け、(19. 現世利益)を求める皇族や貴族の依頼により盛んに (20. 加持祈祷)が行われる
- <21. 天台宗>比叡山で修業した (22. 最澄)が天台の教え(6世紀成立)をもたらす
- 桓武天皇に支持され (23. 延暦寺)を創設、新戒壇の創設を求めるも南都仏教から批判される(死後公認される/大乗戒壇):『山家学生式』『24. 顕戒論』
- <25. 真言宗>讃岐から出た空海が当初大学で学ぶも仏教の道を選ぶ:『三教指帰』
- 長安で(25-2. 恵果)に学び体系的な密教を初めて日本へもたらす (26. 東密)
- 嵯峨天皇に支持され (27. 教王護国寺/東寺)および (28. 金剛峯寺)を設立
- *天台宗の密教化は (29. 円仁・円珍)の入唐により実現 (30. 台密)
- 円仁:『31. 入唐求法(にっとうぐほう)巡礼行記』を記す(東寺で発見された唐研究の重要資料)
- 10世紀以降両派が対立:円仁派=山門派、円珍派=寺門派(園城寺)
仏教の定着
- <32. 修験道>
- 平安新仏教では厳しい山岳での修行により呪力を体得することが目指される
- →在来の山岳信仰と結びつき、吉野大峰山、北陸白山、出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)などで山伏が活動
- <32-2. 神仏習合>神社境内に神宮寺、寺院境内に神を祀る社が各地で建設される
密教芸術
- <建築>
- (33. 室生寺)(奈良県)*山間の地形に合わせた (34. 自由な伽藍配置)
- :「35. 女人高野」と呼ばれ、女性の参拝が許された真言宗寺院
- <彫刻>(36. 一木造)・(37. 翻波(ほんぱ))式が特徴
- 密教仏:神護寺薬師如来像/室生寺弥勒堂薬師如来像/(38. 観心寺如意輪観音像)/(39. 教王護国寺不動明王像)
- 神像仏:薬師寺 (40. 僧形八幡神像) /神功皇后像
- <仏画>(密教絵画)
- (41. 曼荼羅):教王護国寺 (42. 両界曼荼羅)(金剛界・胎蔵界)
- (43. 園城寺不動明王像)(黄不動)/高野山不動明王像(赤不動)
- <説話>
- 『44. 日本霊異記』:薬師寺の僧 (45. 景戒)が、仏教思想による因果応報譚などを記す。日本最古の仏教説話集