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芳香族カルボン酸

1. 芳香族カルボン酸とは

芳香族カルボン酸は、芳香環(ベンゼン環など)に直接カルボキシ基(-COOH)が結合した化合物の総称である。

  • 一般式: Ar-COOH (Arはアリール基)
  • 最も簡単な化合物: 安息香酸 (C₆H₅COOH)
  • 特徴: 脂肪族カルボン酸と同様に酸性を示すが、芳香環の共鳴効果により若干酸性度が異なる。また、芳香環特有の反応(置換反応)も示す。
  • 命名法: 対応する芳香族炭化水素の名前に「カルボン酸」または「酸」をつける。
    例:C₆H₅COOH → 安息香酸(ベンゼンカルボン酸)
    o-, m-, p-フタル酸 (ベンゼンジカルボン酸の異性体)
    サリチル酸 (o-ヒドロキシ安息香酸)

2. 安息香酸 (C₆H₅COOH)

2.1 物理的性質

  • 性状: 無色の針状結晶または板状結晶。昇華性がある。
  • 融点: 122℃、沸点: 249℃
  • 溶解性: 水に溶けにくい(冷水に0.17g/100mL、熱水には溶けやすい)。エタノール、エーテルなどの有機溶媒に易溶。
  • 臭い: 無臭またはわずかに安息香様の香り。

2.2 化学的性質

  • 酸性: pKa = (1) 4.20 (酢酸のpKa 4.76よりやや強い)。
  • NaOH, Na₂CO₃, NaHCO₃と反応して安息香酸ナトリウム(水溶性)を生成する。
  • 反応式(NaOH): (2) C₆H₅COOH + NaOH → C₆H₅COONa + H₂O
  • 反応式(NaHCO₃): (3) C₆H₅COOH + NaHCO₃ → C₆H₅COONa + CO₂↑ + H₂O

2.3 安息香酸の製法

  • トルエンの酸化: 最も一般的な工業的製法。
  • 反応式: (4) C₆H₅CH₃ + 3[O] → C₆H₅COOH + H₂O
  • 酸化剤: 過マンガン酸カリウム(KMnO₄)や二クロム酸カリウム(K₂Cr₂O₇)、または空気酸化(工業的)。
  • フタル酸の脱炭酸: フタル酸を加熱すると脱炭酸して安息香酸が得られる。
  • ベンズアルデヒドの酸化: ベンズアルデヒドを空気酸化しても得られる。

2.4 安息香酸の反応

  • エステル化: アルコールと酸触媒でエステルを生成。
  • 例(安息香酸エチル): (5) C₆H₅COOH + C₂H₅OH ⇄ C₆H₅COOC₂H₅ + H₂O
  • 塩化ベンゾイルの生成: 塩化チオニルなどと反応。
  • (6) C₆H₅COOH + SOCl₂ → C₆H₅COCl + SO₂↑ + HCl↑
  • ベンゼン環の置換反応: カルボキシ基はメタ配向性。
  • ニトロ化: m-ニトロ安息香酸が主生成物。
  • スルホン化: m-スルホ安息香酸が主生成物。
  • ハロゲン化: m-ハロゲン安息香酸が主生成物。

2.5 安息香酸の用途

  • 防腐剤: 安息香酸ナトリウムとして清涼飲料水、醤油、マーガリンなどの保存料に使用。
  • 医薬品原料: 軟膏(サリチル酸など)の原料。
  • 染料中間体: 各種染料の合成原料。
  • 可塑剤: 安息香酸エステルとして。

3. フタル酸 (ベンゼンジカルボン酸)

ベンゼン環に2つのカルボキシ基が結合した化合物で、3種類の異性体がある。

3.1 フタル酸 (o-フタル酸, 1,2-ベンゼンジカルボン酸)

  • 性状: 無色の結晶。加熱すると脱水して無水フタル酸になる。
  • 融点: 191℃(分解して無水物になる)。
  • 無水フタル酸: フタル酸を加熱して得られる。工業的に重要。
  • 反応式: (7) o-C₆H₄(COOH)₂ → o-C₆H₄(CO)₂O + H₂O
  • 用途: 可塑剤(フタル酸エステル)、染料(フェノールフタレイン)、アルキド樹脂の原料。

3.2 イソフタル酸 (m-フタル酸, 1,3-ベンゼンジカルボン酸)

  • 性状: 無色の結晶。無水物を作りにくい。
  • 融点: 348℃(昇華)。
  • 用途: ポリエステル樹脂、アルキド樹脂の原料。

3.3 テレフタル酸 (p-フタル酸, 1,4-ベンゼンジカルボン酸)

  • 性状: 無色の結晶。昇華性。水に難溶。
  • 融点: 427℃(昇華、密閉管では300℃で融解)。
  • 製法: p-キシレンの酸化。
  • 反応式: (8) p-CH₃C₆H₄CH₃ + 6[O] → p-C₆H₄(COOH)₂ + 2H₂O
  • 用途: ポリエステル(PET)の最も重要な原料。テレフタル酸ジメチル(DMT)としてエチレングリコールと重合。

3.4 フタル酸エステル(可塑剤)

  • フタル酸と高級アルコールのエステル。ポリ塩化ビニル(PVC)などの可塑剤として大量に使用される。
  • 代表例: フタル酸ジ-2-エチルヘキシル(DEHP, DOP)
  • 環境ホルモン問題などから使用が制限されているものもある。

4. ヒドロキシ安息香酸

ベンゼン環にOH基とCOOH基を持つ化合物。3種類の異性体がある。

4.1 サリチル酸 (o-ヒドロキシ安息香酸)

  • 性状: 無色の針状結晶。融点159℃。
  • 溶解性: 水に難溶、エタノール、エーテルに可溶。
  • 特徴: 分子内水素結合を形成するため、o-体はm-体、p-体と性質が異なる。
  • FeCl₃呈色反応: 赤紫色(フェノール性OHの反応)。
  • 加熱すると脱炭酸してフェノールになる。
  • 反応式: (9) o-HOC₆H₄COOH → C₆H₅OH + CO₂↑

サリチル酸の製法

  • コルベ・シュミット反応: フェノキシドナトリウムに二酸化炭素を加圧下で反応させる。
  • 反応式: (10) C₆H₅ONa + CO₂ → o-HOC₆H₄COONa
  • その後、酸で中和してサリチル酸を得る。

サリチル酸の反応と誘導体

  • アセチル化(アスピリン合成): 無水酢酸と反応。
  • 反応式: (11) o-HOC₆H₄COOH + (CH₃CO)₂O → o-CH₃COOC₆H₄COOH + CH₃COOH
  • 生成物: アセチルサリチル酸(アスピリン) - 解熱鎮痛薬。
  • メチル化(サリチル酸メチル): メタノールとエステル化。
  • 反応式: (12) o-HOC₆H₄COOH + CH₃OH → o-HOC₆H₄COOCH₃ + H₂O
  • 生成物: サリチル酸メチル - 冬緑油の香り、外用消炎鎮痛薬。
  • フェニルエステル(サロール): フェノールとエステル化。
  • (13) o-HOC₆H₄COOH + C₆H₅OH → o-HOC₆H₄COOC₆H₅ + H₂O
  • サロールは腸溶性の薬剤(かつて使用)。

サリチル酸の用途

  • アスピリン(解熱鎮痛薬)の原料
  • 外用薬(いぼ、たこ、うおのめ治療薬) - 角質軟化作用
  • サリチル酸メチル(外用消炎鎮痛薬、香料)
  • 染料、殺菌剤の原料

4.2 m-ヒドロキシ安息香酸

  • 性状: 無色結晶、融点202℃。
  • 分子間水素結合のため、o-体より融点が高い。
  • FeCl₃呈色反応: 赤紫色。

4.3 p-ヒドロキシ安息香酸

  • 性状: 無色結晶、融点214℃(分解)。
  • エステル(パラベン): p-ヒドロキシ安息香酸エステルは防腐剤(パラベン)として広く使用される。
  • メチルパラベン、エチルパラベン、プロピルパラベンなど。
  • 化粧品、食品、医薬品の防腐剤。

5. その他の重要な芳香族カルボン酸

5.1 ケイ皮酸 (シンナム酸, C₆H₅-CH=CH-COOH)

  • 構造: アクリル酸のフェニル置換体。トランス体が主。
  • 性状: 無色結晶、融点133℃。シンナモンの香り。
  • 用途: 香料、医薬品原料。

5.2 没食子酸 (ガリック酸, 3,4,5-トリヒドロキシ安息香酸)

  • 性状: 無色結晶。
  • 特徴: タンニンの加水分解で得られる。強い還元性。
  • 用途: インクの原料(没食子酸鉄インク)、写真現像液。

5.3 マンデル酸 (C₆H₅-CH(OH)-COOH)

  • 構造: α-ヒドロキシ酸。不斉炭素を持つ。
  • 用途: 医薬品中間体、尿路感染症治療薬。

5.4 ナフトエ酸 (C₁₀H₇-COOH)

  • 1-ナフトエ酸と2-ナフトエ酸がある。
  • 染料中間体など。

6. 芳香族カルボン酸の一般的反応

6.1 カルボキシ基の反応

  • 塩の生成: 塩基と反応して水溶性の塩になる。
  • エステル化: アルコールと酸触媒でエステル生成。
  • 酸塩化物の生成: SOCl₂, PCl₃, PCl₅などと反応。
  • アミドの生成: アンモニアと反応後、加熱。
  • 還元: LiAlH₄などで還元するとベンジルアルコール誘導体になる。

6.2 ベンゼン環の反応

  • カルボキシ基はメタ配向性の弱い不活性化基。
  • ニトロ化、スルホン化、ハロゲン化ではメタ置換体が主生成物。
  • フリーデル・クラフツ反応は、カルボキシ基が触媒と反応するため通常困難。

6.3 脱炭酸反応

  • o-位にOH基やNH₂基があると脱炭酸しやすい。
  • サリチル酸の脱炭酸: (14) o-HOC₆H₄COOH → C₆H₅OH + CO₂↑
  • アントラニル酸(o-アミノ安息香酸)も脱炭酸しやすい。

7. 芳香族カルボン酸の検出・確認方法

7.1 酸性の確認

  • リトマス紙: 酸性で赤色に変色。
  • 炭酸水素ナトリウム試験: CO₂の気泡発生(フェノールとの区別)。

7.2 塩化鉄(III)反応

  • サリチル酸などフェノール性OHを持つものは呈色(赤紫色)。
  • 安息香酸などフェノール性OHを持たないものは呈色しない(ただし安息香酸は褐色の沈殿?)。

7.3 エステルの生成(香り)

  • メタノールと濃硫酸で加熱し、エステルの香りを確認。
  • 安息香酸メチルは強い甘い香り。

7.4 赤外吸収スペクトル(IR)

  • C=O伸縮振動: 1680-1710 cm⁻¹(共役のため低波数シフト)
  • O-H伸縮振動: 2500-3300 cm⁻¹(広幅)
  • 芳香環の吸収: 1600, 1500 cm⁻¹

7.5 核磁気共鳴スペクトル(NMR)

  • ¹H-NMR: COOHプロトンは11-13 ppm(ブロード)
  • 芳香族プロトンは7-8 ppm

8. 芳香族カルボン酸の応用・工業的利用

8.1 高分子原料

  • テレフタル酸: ポリエステル(PET)の原料。PETボトル、ポリエステル繊維。
  • イソフタル酸: 高機能ポリエステル、アルキド樹脂。
  • フタル酸: アルキド樹脂(塗料)、不飽和ポリエステル樹脂。

8.2 可塑剤

  • フタル酸エステル: ポリ塩化ビニル(PVC)の可塑剤として大量使用。
  • DEHP(DOP), DINP, DIDPなど。

8.3 医薬品

  • アスピリン(アセチルサリチル酸): 解熱鎮痛薬。
  • サリチル酸: 外用薬(角質軟化剤)。
  • サリチル酸メチル: 外用消炎鎮痛薬。
  • p-アミノサリチル酸: 抗結核薬。

8.4 防腐剤・保存料

  • 安息香酸ナトリウム: 食品保存料(清涼飲料水、醤油など)。
  • パラベン(p-ヒドロキシ安息香酸エステル): 化粧品、食品、医薬品の防腐剤。

8.5 染料・顔料

  • フェノールフタレイン(指示薬)
  • フルオレセイン(蛍光色素)
  • アリザリン(赤色染料) - 1,2-ジヒドロキシアントラキノン

8.6 その他

  • ケイ皮酸: 香料
  • 没食子酸: インク、写真現像液

9. 安息香酸とその誘導体の性質比較

化合物 構造 融点(℃) pKa 特徴・用途
安息香酸 C₆H₅COOH 122 4.20 防腐剤(ナトリウム塩)
サリチル酸 o-HOC₆H₄COOH 159 2.98 アスピリン原料、外用薬
m-ヒドロキシ安息香酸 m-HOC₆H₄COOH 202 4.08
p-ヒドロキシ安息香酸 p-HOC₆H₄COOH 214 4.58 パラベン(防腐剤)の原料
o-トルイル酸 o-CH₃C₆H₄COOH 106 3.91
m-トルイル酸 m-CH₃C₆H₄COOH 111 4.27
p-トルイル酸 p-CH₃C₆H₄COOH 180 4.38
o-ニトロ安息香酸 o-NO₂C₆H₄COOH 147 2.17 強い酸性
m-ニトロ安息香酸 m-NO₂C₆H₄COOH 142 3.45
p-ニトロ安息香酸 p-NO₂C₆H₄COOH 242 3.41

10. 芳香族カルボン酸の毒性と取り扱い

10.1 毒性

  • 安息香酸: 比較的低毒性。大量摂取で健康影響の可能性。
  • サリチル酸: 外用薬として使用されるが、経口摂取は毒性(サリチル酸中毒)。アスピリン過敏症。
  • フタル酸エステル: 一部は内分泌かく乱物質(環境ホルモン)として疑われている。生殖毒性が指摘されるものもある。
  • ニトロ安息香酸: 毒性が強いものもある。

10.2 安全な取り扱い

  • 粉じん吸入を避ける(防じんマスク)。
  • 皮膚・目との接触を避ける(保護手袋・保護メガネ)。
  • 換気の良い場所で使用。
  • 適切な廃棄処理(化学物質として)。

11. 重要反応のまとめ(暗記用)

  • 安息香酸の生成(トルエンの酸化): (15) C₆H₅CH₃ + 3[O] → C₆H₅COOH + H₂O
  • 安息香酸 + NaHCO₃: (16) C₆H₅COOH + NaHCO₃ → C₆H₅COONa + CO₂↑ + H₂O
  • 安息香酸のエステル化: (17) C₆H₅COOH + ROH ⇄ C₆H₅COOR + H₂O
  • フタル酸の脱水: (18) o-C₆H₄(COOH)₂ → o-C₆H₄(CO)₂O + H₂O
  • テレフタル酸の生成(p-キシレンの酸化): (19) p-CH₃C₆H₄CH₃ + 6[O] → p-C₆H₄(COOH)₂ + 2H₂O
  • コルベ・シュミット反応(サリチル酸合成): (20) C₆H₅ONa + CO₂ → o-HOC₆H₄COONa
  • アスピリン合成: (21) o-HOC₆H₄COOH + (CH₃CO)₂O → o-CH₃COOC₆H₄COOH + CH₃COOH
  • サリチル酸の脱炭酸: (22) o-HOC₆H₄COOH → C₆H₅OH + CO₂↑
  • 安息香酸のニトロ化: (23) m-ニトロ安息香酸(主生成物)

12. 確認問題

  1. トルエンから安息香酸を合成する反応式を示せ。また、この反応に用いられる酸化剤を2つ挙げよ。
  2. 安息香酸とフェノールの酸性度の違いを、炭酸水素ナトリウムを用いて区別する方法を説明せよ。
  3. サリチル酸からアスピリンを合成する反応式を示せ。
  4. フタル酸、イソフタル酸、テレフタル酸の構造式を示し、それぞれの主な用途を述べよ。
  5. コルベ・シュミット反応について説明し、生成物を答えよ。
  6. 安息香酸に混酸(濃硝酸+濃硫酸)を作用させたときの生成物の構造式と名称を答えよ。また、なぜその位置に置換するか説明せよ。
  7. テレフタル酸とエチレングリコールから合成される高分子化合物の名称と用途を述べよ。
  8. p-ヒドロキシ安息香酸エステル(パラベン)の用途を述べよ。
  9. サリチル酸を加熱したときの反応式を示し、生成物を答えよ。
  10. 安息香酸ナトリウムの食品保存料としての利用について説明せよ。