第9章 幕藩体制の成立と展開
①幕藩体制の成立
江戸幕府の成立〈家康の政治〉1542〜1616
- 1590 関東に転封(江戸城に移る)、石高250万石
- 1598 秀吉死去、五大老の筆頭となる
- 五奉行の(1. 石田三成との対立が深まる)
- 1600 毛利輝元を盟主に三成が挙兵(2. 西軍)、(3. 関ヶ原の戦い)が起こる
- ⇔家康・(4. 福島正則)・黒田長政ら(5. 東軍)
- 家康に寝返る大名などもおり、家康の勝利に終わる
- *西軍の諸大名93家、506万石が改易され、減封(領地削減)も多数出る
- :(6. 豊臣秀頼)220→60万石、毛利氏120→37、上杉氏120→30
- *親藩=(7. 三家:尾張・紀伊・水戸)など徳川氏一門
- 譜代=古くからの家臣
- 外様=関ヶ原の戦い前後に臣従
- 〈転封を繰り返し、親藩・譜代を要地に、有力外様を遠隔地に配置〉
- 1603 後陽成天皇から征夷大将軍に任じられ、江戸幕府が成立
- 幕府の成立を東南アジア諸国へ宣言
- 諸大名に、江戸城・市街地造成の普請(軍役に相当)と、国絵図・(8. 郷帳:郡単位で村高を記載、一国単位にまとめる)の提出を命じる
- 1605 (9. 秀忠)に将軍職を譲り、家康は駿府で(10. 大御所)として実権を握る
- *名目上秀頼の地位は高く、将軍職を徳川家が世襲することを世に知らしめた
- 1614〜15 (11. 方広寺鐘銘事件)をきっかけに(12. 大坂の役:大阪冬の陣・夏の陣)で豊臣氏を滅ぼす
- *鐘銘の「君臣豊楽」・「国家安康」を問題とする
- 1616 家康死去
幕藩体制〈秀忠の政治〉1579〜1632
- 1615 (13. 一国一城令):大名の居城を1つに限定
- →領国内の家臣団統制が強化される
- (14. 武家諸法度〈元和令〉):(15. 金地院崇伝)が起草 *黒衣の宰相
- 「16. 文武弓馬の道、専ら相嗜むべきこと」
- *以後代替わり毎に発布
- 福島正則(有力外様大名)を武家諸法度違反で改易(無断修築)
- 1623 (17. 家光)に将軍職を譲る
〈家光の政治〉1604〜51
- 1632 加藤忠広改易(肥後熊本、豊臣系の有力外様、原因不明)
- →九州に将軍権力が及ぶことを示す
- 1634 (18. 軍役)を課し、30万人を率いて上洛
- 1635 武家諸法度(19. 寛永令):(20. 参勤交代)を義務づける
- 「在江戸交替相定むる所なり」「(21. 五百石)以上の船停止事」
- *この頃までに全国を幕府と藩が人々を支配する(22. 幕藩体制)が確立
幕府の機構
〈財源〉直轄領(幕領):400万石
- 鉱山収入:金(23. 佐渡)、銀(24. 但馬生野)・(25. 石見大森)
- 重要都市の直轄化:江戸・京都・大坂・(26. 長崎)・堺
- 貨幣鋳造(改鋳による出目の収入も)
〈軍事力〉(27. 旗本):御目見得以上、1万石未満、五千人程度
- 御家人:御目見得以下、2万弱
- *石高に応じて役職に就き、軍役を負担(俗に旗本八万騎)
〈役職〉
- (28. 大老):臨時の最高職
- (29. 年寄)→(30. 老中):政務を統括
- (31. 寺社奉行):金地院崇伝の死後整備、譜代大名
- (32. 町奉行):江戸の行政に加え幕領の訴訟も担当、旗本(大岡忠相など)
- (33. 勘定奉行):財政に加え行政・司法・警察を管轄、旗本
- (34. 若年寄):老中を補佐、旗本を監督
- (35. 大目付):大名を監察
- (36. 目付):旗本・御家人を監察
- (37. 道中奉行):五街道などの事務
- (38. 京都所司代):京都・西国大名の監察、畿内8カ国の幕領の訴訟 老中に次ぐ要職
- (39. 城代):駿府・京都二条・大坂・伏見の各城に。(40. 町奉行)も。
- 郡代・代官:幕領に派遣され、民政を担当
- 特徴①(41. 評定所)で合議(老中+(42. 三奉行):寺社・町・勘定奉行等)
- ②(43. 月番交代)
- ③譜代大名・旗本が担当
藩政の特徴
- 領内の有力武士に領地を与える(44. 地方知行制)
- *寛永の飢饉がきっかけとなり、領内一円支配が進む→(45. 俸禄制度)
天皇と朝廷 *天皇・公家が他大名に利用されないよう規制
- 1611 家康により(46. 後水尾天皇)が即位
- →1615 (47. 禁中並公家諸法度):関白・三公に統制させ(48. 武家伝奏:公家、幕府より役料)に連絡させる
- 「天子諸芸能の事、第一(49. 御学問)也」「紫衣の寺…近年猥りに勅許の事」
- 1620 徳川(50. 和子:東福門院)が後水尾天皇に入内(禁裏御料2万石に)
- *官位や改元・改暦に際しても幕府の承諾を求める
- 1627 (51. 紫衣事件):天皇が幕府への届け出なく紫衣着用を認めたとして取り上げる→大
- 徳寺の沢庵らが抗議→幕府が沢庵を配流(1629)
- 1629 後水尾天皇が(52. 明正天皇)に突然譲位(幕府は追認)
- *以後朝廷に厳しく対応し、幕末までの朝幕関係が確立
禁教
〈キリスト教〉*黙認→対外問題の発生や信者の結束を危惧し、改宗を強制
- 1612 幕領に(53. 禁教令):キリスト教徒に改宗を強制、翌年全国に広げる
- 1614 高山右近ら300人余を追放(マニラ、マカオ)
- 1622 (54. 元和の大殉教):長崎で宣教師・信者を55人を処刑
- *「黄金の国ジパング」→「殉教の島」(55. シドッチ来日1705)
- →多く改宗するも、一部は「隠れキリシタン」となる
- 1637〜38 (56. 島原の乱):飢饉の最中、領主のキリスト教徒への弾圧と過酷な年貢取り立てに対し、一揆が発生(牢人も参加)
- (57. 天草四郎/益田時貞)を中心に原城跡に立てこもる(3万人)
- 幕府軍(松平信綱)は12万人を動員し、ようやく鎮圧
- →以後、(58. 絵踏)を強化、(59. 寺請制度)による(60. 宗門改:信仰調査)を実施、「鎖国」政策を一気に進める
寺請制度 *キリスト教と日蓮宗(61. 不受不施派)を禁止
- ①キリシタンで無いことを証明するためすべての人が檀那寺の(62. 檀家)となる(=(63. 寺檀制度))
- ②結婚や旅行等の際に、檀那寺が寺請証文(=証明書)を発行
- ③家族毎に宗旨と檀那寺を記した(64. 宗門改帳)が毎年作成される(戸籍)
- *神道・修験道・陰陽道なども容認される(祈祷・占いの需要)
寺院統制
- 門跡寺院(皇子・公家の子弟が住職に)を統制
- (65. 寺院法度)で各宗派ごとに組織化(=(66. 本末)制度)*金地院崇伝による
- →1665 (67. 諸宗寺院法度)にまとめられる
神社統制
- 吉田家を本所とする
- 1665 (68. 諸社禰宜神主法度)で統制
江戸時代初期の外交関係
- 1600 オランダ船(1. リーフデ号)豊後へ漂着、家康が英・蘭人を外交顧問に
- (2. ヤン=ヨーステン/耶揚子:航海士)→1609貿易許可
- (3. ウィリアム=アダムズ/三浦按針:水先案内人)→1613貿易許可
- *南蛮人と対比され(4. 紅毛人:プロテスタント・政教分離)と呼ばれる
- (5. 平戸)に商館が置かれる
- 1609 ルソン前総督(6. ドン=ロドリゴ)が上総に漂着
- 1610 家康がスペイン領メキシコ(7. ノヴィスパン)との交易を求め、京都の商人(8. 田中勝介)を同行させ、送り届ける
- 1613 伊達政宗が(9. 支倉常長)をスペイン・ローマへ派遣、ノヴィスパンとの交易目指す
- (10. 慶長遣欧使節:関係資料が世界記憶遺産に/2013)
貿易統制
- 中国産生糸(白糸)⇔銀 *当初ポルトガルが巨利を得る
- 1604〜 (11. 糸割符制度)導入:特定の商人(12. 糸割符仲間/のち五カ所商人)が生糸を一括購入し、仲間の構成員に分配(利益独占を排除)
- (五カ所商人=(13. 京・堺・長+江・大))
朱印船貿易
- 渡航許可の朱印状を得た貿易家が(14. 朱印状)を得て貿易を行う
- :(15. 島津家久)・有馬晴信、(16. 末次平蔵:長崎)・(17. 末吉孫左衛門:摂津)・(18. 角倉了以・茶屋四郎次郎:京都)ら
(19. 日本町)の形成
- 海外に移住した日本人により各地で自治都市ができる(図p.14)
- :(20. アユタヤ:タイ)サンミゲル・ディラオ(フィリピン)、ツーラン・フェフォ(ベトナム)、プノンペン・ピニャールー(カンボジア)など
- (21. 山田長政)はアユタヤ朝の政治家として活躍(リゴール長官)
- *日本町以外にも、各地に日本人が居住(バタヴィア、マラッカ、マカオ、アンボイナなど)
「鎖国」政策 *1801に(22. 志筑忠雄:オランダ通詞)がケンペル(独)の『日本誌』を翻訳し、「鎖国」の用語を初めて用いる
目的①キリスト教の取締まり/②貿易利益の独占
- 1616(元和2)中国船以外は寄港地を(23. 平戸・長崎)に限定
- 1623(元和9)イギリスが引き上げる(←アンボイナ事件:英が蘭に敗北)
- 1624(寛永元)(24. スペイン船)来航禁止
- 1633(寛永10)(25. 奉書船:老中奉書を特別に受けた朱印船)のみ許可
- 1635(26. 寛永12)(27. 日本人の海外渡航・在外日本人の帰国)禁止
- *中国船の寄港地を長崎に限定(私貿易の形態)
- 1637〜38 (28. 島原の乱:島原・天草一揆)
- 1639(29. 寛永16)(30. ポルトガル船)来航禁止
- 1641(寛永18)平戸を閉鎖、長崎(31. 出島)に移し(32. 長崎奉行)が監視
- *幕府が貿易を独占し、外国からの影響が限定された状態となる
長崎貿易
〈オランダ〉*バタヴィアの東インド会社支店
- (33. プロテスタント)の国で、貿易利益のみを求める
- 輸出 銀、金(小判)、→(34. 銅)、(35. 伊万里焼:有田焼とも)、漆器など
- 輸入 (36. 生糸)、絹織物、砂糖など
- *幕府はオランダ商館長(37. カピタン)に(38. オランダ風説書)を提出させ情報を入手(毎年江戸参府が行われ長崎屋に逗留)
〈中国〉*明:〜1644 →清:1616(1636)〜
- 輸出 銀、銅、のち(39. 俵物)も増加
- 輸入 生糸、絹織物、砂糖、(40. 書籍)、東南アジアの特産品(蘇木・香木・獣皮・獣角)など
- 1685〜清の支配が安定した17世紀後半〜輸入量が増加し、(41. 銀)が多量に流出したため貿易額を制限:金3000貫、銀6000貫
- 1688〜清船を年間70隻に限る
- 1689〜密貿易対策として居住地を(42. 唐人屋敷)に限定
- *唐船風説書を提出させる(唐通事が翻訳)
朝鮮と琉球・蝦夷地
〈朝鮮〉*「偽書」のやり取りにより形式上講和が実現、国交を維持
- 1609 (43. 己西約条)締結:(44. 宗氏)が日本側の代表として貿易利潤を独占
- (45. 釜山)に設置された(46. 倭館)で交易
- 1607〜計12回の(47. 朝鮮通信使)が来日し、文化交流が盛んに行われる
- *当初は(48. 捕虜返還)が目的。雨森芳洲ら儒者・禅僧が外交を担う
- 輸出 (49. 銀)、銅 *生糸の対価として大量に良質の銀が流出
- 輸入 生糸、絹織物、(50. 朝鮮人参:江戸中期以降国産化)
〈琉球王国〉
- (51. 1609)薩摩藩(52. 島津家久)により征服され(53. 日中両属)状態となる
- :薩摩藩は(54. 黒砂糖)などの特産物+中国との朝貢貿易によって得られた産物を上納させる
- 「朝貢使節」を派遣 (55. 謝恩使):「琉球国王」の代替わり毎
- (56. 慶賀使):将軍の代替わり毎
- *異国風の衣装・音曲の行列に仕立てられた
〈蝦夷ヶ島〉*道南の和人地を蠣崎氏(→(57. 松前氏))が支配
- 1604 松前氏がアイヌの人々との交易権を保障され、藩制をしく
- :家臣に(58. 商場・場所とも)の交易権を与える(=(59. 商場知行制))
- 1669 (60. シャクシャインの戦い):「和人」の進出が強まり対立発生
- →以後、津軽藩の協力により鎮圧した松前藩の支配が強化される
- *蝦夷地の産物を求めた和人商人が急速に進出し、18世紀前半ころまでに商場が商人請負に代わる(=(61. 場所請負制度))
寛永期の文化(17世紀前半) *寛永期:1624〜46年
〈特徴〉
- 京都を中心とした(1. 上層町人)による独自の文化
- 桃山文化を発展させ、やがて(2. 元禄)文化の一要素となる
- 貴族的・古典的な美の追求を目指す傾向もみられる(鷹峯の光悦村など)
学問
- (3. 朱子学)中心、君臣・父子、上下の秩序を重んじる学問が幕府や藩の支配イデオロギーとして利用される
- (4. 藤原惺窩)により基礎が築かれる(「(5. 京学)」として発展)
- :京都相国寺の禅僧から還俗、朱子学の啓蒙活動を行う(近世朱子学の祖)
- 慶長の役の捕虜であった(6. 姜沆)に影響を受ける
- 弟子の(7. 林羅山/道春)を家康に推薦(家康〜家綱4代の侍講となる)幕藩体制下の階層的秩序とその実践道徳を基礎付け、幕政にも関与(法度作成・方広寺鐘銘事件等)
- (8. 林家)は代々侍講として将軍に仕える
- ①羅山→②鵞峰:『9. 本朝通鑑』→③鳳岡:聖堂学問所の初代大学頭
建築
- (10. 日光東照宮)(栃木県):(11. 霊廟)建築(祖先の霊を祀る御霊屋で、父祖の偉業を称え、子孫の繁栄を願う)であり、(12. 権現造)の様式
- (13. 陽明門)は「日暮の門」とも言われる *家康=「東照大権現」
- (14. 桂離宮)(京都):後陽成天皇弟(八条宮智仁親王・桂宮)造営の別邸、茶室風の建築様式を取り入れた(15. 数寄屋造)の古書院・中書院・新書院と(回遊式庭園)などがある
- *数寄=風流(茶の湯の代名詞)、茶室=数奇屋
- (16. 修学院)離宮(京都):(17. 後水尾)天皇の山荘、比叡山を借景とした雄大な庭園をなす(数寄屋造)
- 清水寺本堂:1633再建(懸造)
- 比叡山根本中堂:1642再建
- 東寺五重塔:1644、家光の寄進により再建
- (18. 万福寺)大雄宝殿(京都):1668、(19. 黄檗宗)本山
- (20. 隠元隆琦)により明の禅宗寺院の様式で造営される
- 崇福寺大雄宝殿(長崎):1635、中国風の黄檗宗寺院
絵画
〈狩野派〉
- 狩野(21. 探幽):永徳の孫、幕府(22. 御用絵師)として活躍
- 『大徳寺方丈襖絵』など
- (23. 久隅守景):庶民的な作風(のち破門される)『(24. 夕顔棚納涼図屛風)』
- 作者不明:『(25. 彦根屛風)』
〈(26. 土佐派)〉
- (27. 土佐光起):宮廷絵所預となり土佐派を復興、(28. 朝廷絵師)として狩野派に対抗
〈住吉派〉
- (29. 住吉如慶)が復興、土佐派に対抗して住吉具慶が幕府の御用絵師となる
〈琳派の祖:京都町衆の芸術・日蓮宗〉
- (30. 俵屋宗達):(31. 風神雷神図屏風)/(32. 建仁寺)
- (33. 本阿弥光悦):(34. 舟橋蒔絵硯箱)のほか書や楽焼も制作
- 家康に洛北鷹ケ峰を与えられ芸術村をつくる
陶磁器 *朝鮮人陶工により登窯や(35. 上絵付)など高度な技術が伝来
- (36. 有田・伊万里)焼:肥前鍋島氏のお国焼き(李参平が白磁生産を開始)
- (37. 酒井田柿右衛門)(初代1596〜1666)が釉の上に(38. 色絵)を付ける技法を研究し、赤絵具を基調とする(39. 赤絵)を完成
- 『色絵花鳥文深鉢』
- 薩摩焼:島津氏のお国焼き(捕虜となった沈寿官が始める)
- (40. 萩)焼:毛利氏
- 平戸焼:松浦氏
- 高取焼:黒田氏
文芸
- (41. 貞門俳諧):京都の(42. 松永貞徳)による俳諧が流行
- (43. 仮名草子):庶民向けで教訓や道徳的な内容が中心